[本日の写真]

2011.4.28

“朝の光で”

「初めての渓」

 早朝の東京を出て三時間半、東北新幹線の新花巻で車に乗せられ三十分ほどで遠野の渓におろされた。まだ体も頭も都会ボケのまま、夢の世界にいるようだ。川沿いの道から小さくつけられたゆるい傾斜の踏み分け道は、新緑のクヌギや白樺の林で明るい日の光がふんだんに注ぎ込んでいる。下草は去年の枯葉が作る茶色のじゅうたんを敷き詰め、その上に熊笹の濃い緑を浮かせている。足元をカサカサ言わせながら緑のトンネルを抜け川に出ると、そこは赤みを帯びた山砂が作る小さなビーチになっていた。
 この日は、初めての本格渓流釣りで、先輩の後を付いていけると思っていたが、親心なのか足手まといなのか、一人置いていかれた。
 山砂のビーチは小さなプールにつながっていて、底に溜められた枯葉が一枚一枚クリアに見える程透明だった。そろそろと水に入っていくとウエイダーを足に張り付かせる水が思いのほか冷たかった。そんな透明度の高いところで釣れるわけもないのだが、むやみに竿を振ってみた。そこから上流部は適度に角の取れた大小の岩で穏やかな渓相を作っている。階段状の落ち込みが連続して、いかにも釣れそうなポイントだ。岩には濃い緑の苔をつけ、所々に新しい倒木が川を横切っている。川岸からは木が覆いかぶさっていて、その葉の新緑は光と影で黄色に近い緑から黒に近い緑まで、深い諧調を見せている。この緑の点描画の上には真っ白な水玉模様が。名前はわからないが白い木花を散らしている。
 景色を見とれているばかりで一向に釣れる気配がない。初めての釣師にとって、どんな疑似餌をどこにどのように流せば魚が出てくるのか、何の根拠もないのである。その上、覆いかぶさる木の枝が邪魔をして、何日もかけて巻いた疑似餌が次から次へと新緑の中に消えていく。それでも、初めての釣師は幸せな気分でいた。都会ボケが消え、体も心も風景の中に溶け込んでいくようだった。
 そんな気分に突然水をさす。ぽつぽつと雨が落ちてきた。はじめは天気雨のようで、しばらくは雨具を着て釣りを続けていたが、急に暗転して雷鳴がとどろき始めた。あっという間にあたりは真っ暗になり近くに雷が落ち始めた。大慌てで川岸に戻り、木の枝の濃い場所の下で雨具のフードをしっかり閉め、丸く小さくなって息を詰める。もちろん、カーボンの竿は遠く離して立てかけておいた。暗い流れに大粒の雨が激しく水しぶきを上げている。身を隠しているこの周りは濃い緑の苔を密生させた黒い岩に囲まれている。しばらくすると、この黒と深緑の上に白い小さいものがぱらぱらと落ちてくる。強い雨に当たって、先ほどの白い木花が散っているのだろうと思った。ところが、帽子の上にフードをかぶった頭にこつこつと何かが当たる。それが段々激しくなって、頭をバチバチ叩かれているようだった。体の周りの岩の上でも激しくはじけて踊っている。それは、雹だったのだ。小豆から小指大の大きさがある。あっという間にあたり一面白い水玉模様のじゅうたんに変わってしまった。あまりの美しさに声もなかった。この間、時間にすればわずか十五分ほどのことだっただろう。夢の世界で、さらに夢を見たようであった。
 うそのように雨が上がって、またもとの青空に戻り、遠くで先輩の釣師が、私の名前を呼んでいる。


[ARCHIVE]

「節電」「なでしこジャパン」「写真」「上布」
(2011-08-02) (2011-07-19) (2011-06-17) (2011-05-23)
「初めての渓」「新作カタログ」「震災」「確定申告」
(2011-04-28) (2011-04-06) (2011-03-18) (2011-03-02)
「悪心」「左利き」「旅番組」「ひまつぶし」
(2011-02-16) (2011-01-26) (2011-01-12) (2010-12-15)
「暖軽」「ケパネックセーター」「旅」「フレンチブルーのワークコート」
(2010-11-24) (2010-11-05) (2010-10-21) (2010-10-06)
「黒い牛乳」「工作」『「里」という思想』「ひらひら、ふわふわ」
(2010-09-14) (2010-08-25) (2010-08-10) (2010-07-28)
<<前のページへ12345678次のページへ>>
351件中: 41から 60件

● この「デザイナーズルーム」へのご意見、ご質問のある方は下記のアドレスへE-mailをお送りください。
デザイナー 武捨光晶/musha@mvj.biglobe.ne.jp

株式会社ビアスポ beaspo@mua.biglobe.ne.jp
Copyright(C)2012 beaspo Corp. All rights reserved