[本日の写真]

2014.7.26

“ご免やす”

「京都の平熱」

 副題を(哲学者の都市案内)という。哲学者の鷲田清一の文庫本である。鷲田清一という人の本は『モードの迷宮』であり『じぶん、この不思議な存在』と、興味を引き付ける魅力的な著作が多く、しばしば読み始めるが、哲学的な考察が厳しく、なかなか読み進めないことが多いのだが、この本は大いに楽しく読ませてもらった。京都は著者が生まれ育ったところであり、遊び学んだところであり、今でもこの町の大学教授であるのだ。その著者が、余所行きの顔ではない普段着の京都、ふつうの表題ならば「素顔の京都」とするところを「京都の平熱」としている。この「平熱」がこの本の深いところなのだ。
 本の形式は、京都駅をスタートとして、定番バス206番で時計の逆回りで回り、途中下車しながら京都の「聖」「性」「学」「遊」「食」等を描いていく。京都はその歴史の中で、日本一の都としての繁栄を誇るが、その繁栄ゆえに、外部からの侵略にもさらされ、入れ代わり立ち代わりの施政者の下にあった。その中でも生きつないでゆくのは民であり、今に至る「京都人」の体質もそこから出来ていったのだと思う。我々観光客として訪れる人間には、寺社であり食事処であり遊び場であり、どれをとっても超一流の顔を見せてくれる京都。何度訪れても飽くことなき場所であるが、さて、一歩中へ踏み込もうとすると、なかなかガードの堅い場所でもあるのだ。この本では、そこを、一歩も二歩も踏み込んで見せてくれる。それは、著者がこの下町で生まれ、遊び育って、内側から京都の陰と襞を身をもって語ることができるからだ。これが「素顔」ではなく「平熱」と言うところ、素顔では表面の顔を繕うことで中を見せないしたたかさが壁を作るが、平熱では生活の中の普段が見えることになるのだと思う。
 この本を読んで、たまらず行きたくなって京都小旅行へ行ってきた。もともと、あからさまな観光地に馴染まず、寺廻りにも興味がなく、街の裏側の猥雑な部分を写真に撮りたい私としては、手ごわい京都にも光明が見えた気がしたのだ。早速、鷲田氏の生まれ育ったあたりの下町を探索するが、結果はみじめなもの。見えるのはどこにでもある普通の生活の裏側、奥の深い内側は到底見えるものではない。町屋の奥からは「京都はそんな浅いもんやおへん」と聞こえたような気がした。さらに、同行した妻が「微熱」を出すという、落ちまでついてきた。さすが京都は手ごわい。


[ARCHIVE]

「国立競技場」「忘れられた巨人」「夫唱不随」「映画『コーヒーをめぐる冒険』」
(2015-07-22) (2015-06-23) (2015-06-01) (2015-05-02)
「素材ミックス」「怖い顔」「高梨沙羅」「食べる」
(2015-04-15) (2015-03-18) (2015-02-24) (2015-02-10)
「オイルド」「八戸」「ベースキャンプジャケット」「赤瀬川原平さんを悼む」
(2015-01-14) (2014-12-15) (2014-11-26) (2014-11-01)
「水漏れ顛末記」「映画『リスボンに誘われて』」「電動アシストつき自転車」「映画 最強のふたり」
(2014-10-14) (2014-09-30) (2014-09-17) (2014-09-03)
「戦争」「京都の平熱」「ブラジルW杯」「タイプライタークロス」
(2014-08-19) (2014-07-26) (2014-07-15) (2014-06-24)
123456次のページへ>>
351件中: 1から 20件

● この「デザイナーズルーム」へのご意見、ご質問のある方は下記のアドレスへE-mailをお送りください。
デザイナー 武捨光晶/musha@mvj.biglobe.ne.jp

株式会社ビアスポ beaspo@mua.biglobe.ne.jp
Copyright(C)2012 beaspo Corp. All rights reserved