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2014.8.19

“道端の情景”

「戦争」

 69回目の終戦記念日を迎えた。戦後世代の我々には実感のない歴史の節目だ。実体験のある世代から生の体験談を聞いておくことの大事さはよくわかっているつもりなのに、年寄りの話の面倒くささからサボってきた自分がすでに年寄りの仲間入り。遅きに失した感はあるがと、今更父親にインタビューした。
 現在、95歳の父は昭和6年満州事変が勃発したとき小学校6年生。そこから大学を出るまでの10年間は日本が中国の支配を広げ、インドシナに侵攻して日独伊三国同盟を締結、大政翼賛会が発足して、着々と軍事国家の色を濃くしていった時代なのだ。我々には計り知れないが、その時代の雰囲気の中に父らの青春もあったのだ
 昭和16年春、父は高等工芸学校(現千葉大学)を卒業した。そして、その年の12月。日本は真珠湾攻撃から太平洋戦争に突入していった。卒業後、信州の実家に帰っていた父は、いつ召集令状が来てもおかしくない状態だった。徴兵制があり、「満17歳から満40歳までの男子はすべて兵役に服する義務がある」とされ、逃れられないものであったのだ。
 その時の心理を父に聞く。戦争に対する我々の負のイメージを合わせながらなのだが、父の答えは「いつでも呼ばれれば満州の戦地に赴く」というものであり、「そこには恐怖心などない」し、「反戦などの思想的なものもなかった」というのだ。太平洋戦争の始まりの時約380万人だった兵士は終戦前年には800万人に膨れ上がっていて、それは当時の人口の十分の一以上なのだ。時代は「挙国一致」「尽忠報国」が叫ばれ、国のため、天皇のため、兵隊になることは名誉なことであり、逆に徴兵逃れをしようとするものは「非国民」と呼ばれたのだ。戦争が進んで来れば、戦死者の数も増えてきて、戦地で死ぬかもしれない恐怖心は無いわけはないであろうに、それよりも、自分が人を殺すかもしれないことへの恐れはどのように封じ込められたのだろう。平和の下の我々には想像もつかないことなのだが、人間の心理を操作する大きな力が膨れ上がり、その力を巧みなメカニズムが支配するのだ。
それが「戦争」だ、と言ってしまえば終わってしまう。
 結局父は、戦地には赴かず陸軍の航空写真を研究開発する機関に配属され、無事に終戦を迎えた。今では「自分の人生の最大のラッキー」だったと言っている。ちなみに、大学の同級生の3分の一は戦地でなくなっている。父の戦争体験は言葉通りにラッキーであったのだが、日本全体では国民一人ひとりに様々な戦争体験があり、そしてその集大成としての戦争という歴史がある。しかし、どうやら年月が経つほどに忘却の彼方に追いやろうとしている。もともと日本人の性格的な弱さなのか、逆に狡猾さなのか、「嫌なことはなかったことにしておこう」とするところがあり、この戦争の過程でも軍の中でこの性格が働いて、悲惨な結末へ導いていった。
 今、憲法を改正して戦争ができる国にしようとしているとき、皆が、戦争の内実を知り、本当に平和になりたいと考えることが必要なのだと思う。


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