[本日の写真]

2014.11.1

“手を伸ばせば”

「赤瀬川原平さんを悼む」

 赤瀬川原平さんが亡くなった。私にとって大きな出来事である。私の20代から現在まで強い影響を与え続けた人なのだ。
 20代の初め美術の世界に首を突っ込んでいた私は、美術家、高松次郎が主宰する“塾”に塾生として参加していたが、赤瀬川さんはその高松次郎、中西夏之と“ハイレッドセンター”として尖鋭な前衛芸術を発表(実行というべきか)後、偽千円札裁判で世間を騒がせていたころだった。それまでの芸術概念に痛烈な否定を突きつける作品や言動には、多大なる刺激を受けていた。
 その後、自ら美術的な表現力の不足を感じていた私は、あえて、美術を無視し、その態度を自らのアイデンティティーのように振る舞い始めた。そのころ赤瀬川さんも現代美術を離れ、文章による表現を増やし始め、『父が消えた』で芥川賞を取り、作家としての活躍が始まった。小説のみならず、『新解さんの謎』や『老人力』など大ベストセラーを生み出している。それらは、テーマの目の付け所の妙であり、思はず読み手を笑いに引き込んでしまう天才的な表現力であった。
 一方、赤瀬川さんの表現は、美術から写真に移行した。その写真は、『トマソン』や『路上観察学会』で、証拠写真として始まっていったが、「考現学」としてそれまで誰もが価値のないものとして見逃していたものにピントを合わせ、その面白さを現前してくれる素晴らしい写真で、これも私に大きな影響を与えた。とはいえその影響は最初、中古カメラそのものへ向かわせるもので、単なるカメラ収集のオタクになるところであったが、途中で写真表現の面白さにやっと気が付き、今に至っている。
 赤瀬川さんは様々な美術解説書も出していて、それは難しい前衛美術であろうとも、ルネッサンスの古典であろうとも、やさしく面白味を見つける楽しい本ばかりだ。私も美術に対する肩肘張りを外すことができ、自分流で楽しむことができるようになった。
 最近の赤瀬川さんが「年をとって自分の才能は『ちょぼちょぼ』だと悟り、かえってやりたいことが出来るようになった」と語っていたというのを知って、このところ私も同じようなことを考え、周りにもしゃべっていたことを思い、我が意を得たりとうれしくなった。到底、赤瀬川さんのレベルまでは達すべくもないが、やりたい事、やれる事を、極力、脱力して楽しんでやっていこうと思っている。


[ARCHIVE]

「国立競技場」「忘れられた巨人」「夫唱不随」「映画『コーヒーをめぐる冒険』」
(2015-07-22) (2015-06-23) (2015-06-01) (2015-05-02)
「素材ミックス」「怖い顔」「高梨沙羅」「食べる」
(2015-04-15) (2015-03-18) (2015-02-24) (2015-02-10)
「オイルド」「八戸」「ベースキャンプジャケット」「赤瀬川原平さんを悼む」
(2015-01-14) (2014-12-15) (2014-11-26) (2014-11-01)
「水漏れ顛末記」「映画『リスボンに誘われて』」「電動アシストつき自転車」「映画 最強のふたり」
(2014-10-14) (2014-09-30) (2014-09-17) (2014-09-03)
「戦争」「京都の平熱」「ブラジルW杯」「タイプライタークロス」
(2014-08-19) (2014-07-26) (2014-07-15) (2014-06-24)
123456次のページへ>>
351件中: 1から 20件

● この「デザイナーズルーム」へのご意見、ご質問のある方は下記のアドレスへE-mailをお送りください。
デザイナー 武捨光晶/musha@mvj.biglobe.ne.jp

株式会社ビアスポ beaspo@mua.biglobe.ne.jp
Copyright(C)2012 beaspo Corp. All rights reserved